スタッフ紹介
経営理念「仕事を通して社会に貢献し、学びを通してよき人、よき仲間を作る。」
私たちの事業は2006年5月よりスタートしました。スタッフは様々なトレーニングと経験を積み、各種の研修を受けてきた精鋭チームです。でも一番お伝えたいのは、トレーニングの知識や技術の習得履歴ではなく、私たちスタッフの思いや考え方、人柄や人間性です。知識や技術を生かせるには、まずその土台となる人間性を高めていくこと。私たちはそのために「環境整備」を会社業務の基本として、掃除に取り組むことで心を磨いています。
代表取締役 福神徳夫 Fukujin Norio
趣味は3ない運動が全盛期の高校時代から変わらずオートバイ。高校時代は学校に内緒でホンダの2サイクルスポーツMB50に乗っていたが、先生方も見て見ぬふりをしていたのどかな時代でもあった。 30歳代にはサーキットでの草レースにものめり込みケガも多数するが、今は落ち着いてツーリングライダーに。現在はイタリアのドゥカティムルティストラーダ1200Sを所有する。
【スポーツ歴】幼少のころより水泳に親しみ、中学、高校、大学と水泳部に所属する。全国大会出場のほか、多数の大会で入賞を果たす。現在も年に数回は水泳の大会に出場している現役のマスターズスイマー。 専門は個人メドレーで中でも得意種目はバタフライ。ただし25mや50mなどの短距離種目は苦手で、100m以上の中長距離種目でないと同年代のライバルに勝てない。 そのためトレーニング量が少ないと一気にタイムダウンするので、勝つためには常に練習はサボれないと自覚している。また水の中以外はまったくだめ。チーフトレーナーの川崎とは正反対の運動能力で、特にボールを使ったスポーツはほぼ全滅。 いつもボールに遊ばれてしまう。
【社会人歴】学生時代のアルバイトはファミリーレストランの厨房。こんなにおいしい食べ物が簡単に食べれるようになったことに感激し、就職活動もせずにアルバイトと部活に精を出す。ちなみに当時ハンバーグなどのお肉の料理は福神的には超高級料理であった。 社会人スタートはスイミングスクール。中学時代の水泳部顧問の恩師を自ら勝手にメンターと決めており、自分が経験してきた競技水泳をたくさんの人に伝えたいと思っていた。入社式後の辞令で上司から「福神は水島に配属ね」と言われて「水島ってどこですか?」 そのとき初めて岡山にも会社の営業所があったことを知る。当初は1年間だけ岡山勤務と聞いて水島スイミングスクールに赴任。その最初の年。人事異動の3月に本社の上司から「今年は水島の人が途中で入れ替わったからもう1年ね」と言われる。 2年目。水島の上司から「福神の移動は本社からは聞いてないなぁ」と言われる。3年目。本社の常務から「福神君は岡山が気に入ったみたいだね」と言われて、初めて大阪には帰れないと気づく。世の中の理不尽さを知った瞬間でもあった。 その後幼児から選手の指導、マスターズスイミングの担当などを経験しながらスイミングスクールのヘッドコーチや、大手フィットネスクラブの支配人を経験してコーチ業だけでなく組織のマネージメントなども現場で学ぶ。
最初の転機は33歳のとき。義父の経営する警備会社に後継者として入社。40歳のときに代表取締役に就任。就任後は「環境整備」に取り組み7年で売り上げを1.5倍、経常利益を10倍にする。また同じくその時に再びスポーツに関わる仕事がしたい思いが強くなり、 現在の会社トモ・プロジェクト株式会社を立ち上げ、倉敷市内で女性だけのフィットネスクラブをオープンさせる。時代の流れも追い風で順調に推移し、一気に3店舗まで拡大させるが、ここでお調子者の計画性のなさが露頭し大赤字を出し2店舗を撤退させ、 周囲の関係者に大迷惑をかけてしまう。ただし撤退という貴重な経験をさせてもらったおかげで、その後はコツコツ努力をすることを覚える。そして日々の業務を積み重ね、少しずつではあるが着実に会社を成長路線へと導く。
2回目の転機は52歳のとき。最初に入ったスイミングスクールの会社の社長の死去。福神が会社を退職した後も、マスターズの大会やパーティーなどのイベントで会えば必ず気さくに声をかけていただいた尊敬する人物であった。 またスイマーとしても別格。当時のオリンピックメダリストでもあり、福神の中では恩人でもありスパースターでもある人の死は自身の人生を見つ直すきっかけとなった。自分が一番やりたいことは何か。人生の終わりを迎えるときにやり残したことがあると 思わないようにすること。今何をすべきかを自問自答したが答えは「もっとスポーツに深く関わる仕事がしたい」だった。
自分の想いが明確になり、できるできないではなく、やりたいかやりたくないかを判断基準して、2年後の2017年5月にボディ&バランス辰巳店オープンさせた。
福神より皆様へ
このページをご覧いただきありがとうございます。今、私はファステイングマイスターとしてお客様にアドバイスを行うだけでなく、私自身がファスティングの実践者として経験を積んでお客様にお伝えしているところです。 2017年7月末で89キロあった体重は月1回のファステイングを行い9月末で78キロに。体脂肪も激減しており、ファステイングの健康効果に一番驚いているのは、実は私自身です。皆様にはファステイングを含めたフィットネスの楽しさ、やりがい、 結果を出したときの達成感など、身体を動かすことで味わえる喜びをお伝えしたいと思いこのクラブを運営しております。また運動を積み重ねた身体の変化を実感して頂き、ご自身に大きな自信を持っていただきたい気持ちを強く持っています。 トレーニングが終わった後のお客様のさわやかな笑顔は私にとって一番の喜びです。もし少しでも私たちに興味を持って頂くことがあれば、ぜひ一度クラブにお越しください。このクラブの空気を感じ取って頂ければとてもうれしいです。
【保有資格】NPO法人日本成人病予防協会健康管理士一般指導員・一般社団法人分子整合医学美容食育協会プロフェッショナルファスティングマイスター・NESTAスイミングコンディショニングスペシャリスト・公益財団法人日本プールアメニティ協会プール衛生管理者 ・岡山県公安委員会認定警備員指導教育責任者1号業務2号業務・交通誘導警備1級・施設警備2級・雑踏警備2級

チーフトレーナー 川崎竜紀 Kawasaki Ryuki
倉敷市玉島出身。岡山県立玉島高校~国士舘大学
【スポーツ歴】剣道二段(小学校1年~中学3年)サッカー(高校1年~現在進行中)その他フットサル、ハンドボール、スカッシュなど。
小学生のころより、剣道、サッカーを中心にさまざまなスポーツを行う。目立った競技成績は残せなかったが、それでもスポーツに関わった仕事がしたいと考え、スポーツトレーナーを目指す。大学は教育学部であったが、大手フィットネスクラブのアルバイトから トレーナー人生をスタートさせる。
スポーツは見るのも行うのも好きで、ファジアーノ岡山の試合観戦にはいつも家族全員で行く。しかしなぜかJリーグ創設以来、鹿島アントラーズびいき。また高校時代からイングランドのマンチェスターユナイテッドのファンでもある。 野球は小学校のときから根っからの広島カープファン。
趣味は水族館めぐり。とにかく大好き。家族旅行も必ず水族館を中心に行程を組んでいるほど。シャチや巨大魚から深海魚まで好きな魚は多数にわたる。当面の目標は日本全国の水族館制覇。
【社会人歴】トレーナーとしては学生時代に大手チェーンのフィットネスクラブのアルバイトからスタート。子供の体操クラブや都内有名ホテル内のフィットネスクラブなどで経験を積み、大学卒業後は東京のトレーニング指導会社に入社。 そこでトレーナーからクラブを管理するマネージャーなどの経験を積み、退社後はフリーのトレーナーとして活動して現在に至る。
川崎より皆様へ
私の得意分野は筋力向上、シェイプアップ、機能改善など。自身、過去に重度のヘルニアを経験し、先輩トレーナーの助言によりトレーニングで改善した経験を持ちます。身体の痛みが嫌なことや動けない辛さ、 それによって生活の不便さや将来に不安が生まれることも経験しましたが、運動やストレッチやトレーニングで改善できることも実体験しました。私はその経験から医療ではない、トレーニングの経験と知識で社会に貢献したいと思っています。また 昨今、生活はどんどん便利になっていますが、身体にとっては良くない事が多いと感じており、事実メタボリックシンドローム(肥満)やロコモティブシンドローム(運動器機能不全症候群)など、本来人間が持っている機能が働かずに起こる機能障害や 疾病が増えてきていると思います。私は、運動(トレーニング)を通じて、それらを解消するお手伝いをしたいと強く思っています。人は 自ら体を動かすことは筋肉が活性化し、脳からもホルモンが出やすくなります。その結果、筋力が向上し代謝アップしたり、筋肉に張りが出て若々しい身体を保ったり、姿勢が改善したりと身体にとって良いことがとても多くあります。 またトレーニングは運動神経も年齢も関係なく始められます。体力に自信がなくても、年齢を重ねていても一から丁寧に、私が適切にご指導いたします。 私と一緒にトレーニングをすることによって、運動やトレーニングが好きになってもらえると、とても嬉しく思います。 【保有資格】 日本ホリスティックコンディショニング協会認定ホリスティックコンディショナー 健康運動実践指導者

選任トレーナー 宗和憂弥 Souwa Yuuya
1995年生まれ 牡羊座のO型 吉備国際大学卒業 出身地は兵庫県 神戸牛で有名な神戸市
【スポーツ歴】小さな頃から運動が大好き。小学生からドッチボール・フラッグフットボール・バスケとスポーツ少年の道を歩み始める。中学では生徒会で体育委員長を務め学校行事・部活動の野球とスポーツ中心の生活を送り続ける。 そのため勉強が追いつかず受験前の夏は1日6時間の猛勉強。無事に高校に入学できたが、そのときの経験からやはり勉強はコツコツするものだと痛感する。高校からはぶつかり合いのコンタクトスポーツに目覚めラグビー部に入部。 県ベスト4も経験したがあまりにも練習がしんどい時期があり、生まれて初めてスポーツを嫌いになったことも。しかしハードな練習にも慣れてしまうと、ますます頭のネジが緩みとともにラグビーに魅了され、また良い仲間、監督に恵まれたこともあり、 やっぱりスポーツはいいなと実感していく。
【大学生時代】大学は運動・スポーツを専門的に学びたいと思い、岡山県高梁市の吉備国際大学スポーツ社会学科に入学。ラグビーもしていたこともあり、即アメリカンフットボール部に入部し、部活とバイトに明け暮れる。部活ではリーグ優勝も経験し個人でも賞を獲得。 アルバイトは身体を使う建設系と販売がメインの本屋さん。まったく正反対のバイトを掛け持ちする。建設の現場では自分が掘った穴に生き埋めにされそうになったり、立てた工事看板に襲われる(倒れてきた)など2度ほど死にかけた苦労人。 しかし気がつけば学生の身でありながら、8人の部下を指示する副現場監督に就任していたという。学生なのか社会人なのかよく分からない生活を続けてきたが、そのアルバイトや部活がハードになるにつれて今まで以上に身体の大事さに気付き、 サボっていた勉強を大学3年生から本気で取り組む。 身体やトレーニングのことについて学ぶうちに、自分が運動やスポーツを通して色々な人に何か与えられないかと思い、スポーツトレーナーになることを決める。 大学4年生の時に現会社の社長、福神と出会いスポーツトレーナーとしての一歩を踏み出す。 趣味は漫画・ゲーム・ダーツとスポーツとは正反対で、実はかなりのインドア派。特に漫画は友人たちから漫画喫茶と言われるほど漫画を所有する。 またゲームは徹夜するほどのめり込む時があったが社会人となった今は時間を決めてプレイしている。ダーツはマイダーツを購入するほどのめり込み常に練習している。趣味に関しては勉強と違い、コツコツ収集したり練習したりすることが大好き。
宗和より皆様へ
私は物心付いた幼少期から常に運動、スポーツに関わってきました。ずっとスポーツをしてきたからこそ今の自分がいると思い、専門的に学べる吉備国際大学に入学しましたが、大学3年生くらいまでは日々のことで精一杯でその思いを忘れてた気がします。 大学最後の年になって自分の原点を見直したときに思い出すことができたと思います。また在学中の部活の影響もありますが、トレーニングに関してはいろいろな方法を自分の身体で実験を繰り返し、またそのつど何度も身体に支障をきたすという貴重な体験をして、 正しいトレーニングの知識と技術の大事さに気付いたことは、良いトレーナーになりたいと思うきっかけになりました。また大学内における地域の一般の方を中心とした健康教室の筋力トレーニングの講義を任されたことで、人に伝える難しさを・知識不足を痛感しました。その時に大学出身の先輩のトレーナに相談したところ「経験を積むことで正しく人に伝えることができるし、伝えるためにもっと勉強したくなるし、その勉強の過程が楽しくて仕方がない」と聞かされ、ますますスポーツトレーナーになるしかないと思い、トレーニングだけではなく苦手な勉強もやり始めました。入社のきっかけは合同会社説明会での福神社長と出会いです。この出会いで私がスポーツトレーナーになる決意が固まったのだと思います。まだまだ駆け出しのトレーナーですが、皆さんに運動を楽しんで頂きたい、スポーツの楽しさを広げたいという思いは人一倍持っています。元気な声と笑顔は絶対負けません!来ていただいたお客様に元気になっていただき、私と一緒にトレーニングして良かったと思っていただけるトレーナーにるために日々業務に取り組んでいます。どうぞよろしくお願い致します。
【保有資格】NPO法人日本成人病予防協会健康管理士一般指導員

フィジカルコンディショニングトレーナー 中尾健太郎 Nakao Kentaro
1988年、兵庫県神戸市生まれ。幼少期に埼玉県さいたま市(旧浦和)に移る。
【スポーツ歴】中学校からバレーボールを続けています。所属するクラブチームでプレーしながら、ママさんバレーや大学の女子バレー部の指導をして来ました。現在は設立6周年を迎えた、埼玉県さいたま市で活動している 「七里バレーボールクラブ」の代表として、運営に関わっています。小さな頃から運動が大好き。小学生からドッチボール・フラッグフットボール・バスケとスポーツ少年の道を歩み始める。中学では生徒会で体育委員長を務め学校行事・部活動の野球とスポーツ中心の生活を送り続ける。
【社会人歴】幼稚園の頃から「将来の夢は大工さん!」と言い続け、2011年に大工として現場に出ました。長年の夢を叶えたばかりでしたが、作業中に流れるラジオから聞こえる東日本大震災のボランティアの募集を聞き、今しかできない事をしたいと思い同年に工務店を抜けました。そして岩手県の沿岸、千葉県の液状化の被害エリアに行きボランティア活動をしました。その後は個人で細々と、困りごとを聞いては大工として現場に入る日が続きました。自分のやりたい事、できる事を続けている中で、ボランティアをきっかけに人に働きかけられる資格の取得を考えた時、作業療法士を知りました。物を作る、スポーツ指導、ご用聞き、これまで自然とやってきたこと全てが活かせる仕事を見つけ専門学校に入学し、国家試験合格後の2015年に改めて社会に出ました。就職時代はどこへ行っても「元大工の医療従事者」は珍しがられ、また重宝されました。そのお陰もあり、辞めたはずの大工仕事は夢を叶えた日から絶えず続いています
中尾より皆様へ
医学の進歩、定年年齢が引き上げられる社会、現代は役割を長く持つ時代になっています。そのため、トレーニングにより健康寿命を延ばす事も注目されています。その中で、病気や怪我を避けることはとても難しいです。だから私は病院など医療機関以外にも障害や後遺症をケアする場所があっていいと思います。罹患後多くの人はその疾患や病院を中心の生活にシフトします。しかし、そうでない方も同じように多くいます。症状が安定していれば仕事をしたり、家庭を支えたり、趣味にも取り組みます。障害や後遺症の管理は生活の一部。ジムに通うようにリハビリができたらと思い、そんな環境を作るため独立しました。髪の毛をケアするために美容院に、自宅で洗濯できない物をクリーニング店に。それらと同じくらい障害や後遺症のケア、リハビリを身近なものにしたいと思っています。例えば「肩や腰が痛い」と整形外科へ行き、レントゲンを撮って「骨には問題ありません」と、湿布を処方される。こうした受診に対して「何もしてもらえなかった」と言う人が多くいます。整形外科疾患に対しては「保存療法」それで対応できなければ「オペ」このような選択があります。つまり「オペするほどで無ければ様子をみる」ことがほとんどです。しかし「様子見だけなら最初から病院行かない」と思う人がいるから何もしてもらえなかった」となるのだと思います。医療機関を受診し、様々な機器で体を調べ、お医者様から診断を受けることは大切ですし、必要なことです。その中で我慢できない、我慢してるだけでは心配な、疾患に対してしっかりと向き合う人は、出来ることを探しています。医療機関で提案される手段以外に施術を選べる場所が「KMPフィジカルコンディショニング」であり、その主な事業は自費リハビリです。病院や施設の保険下でのリハビリはセラピストの指名はできません。倒れ、運ばれ、目が覚めて「担当です」と言う人に人生を預けることになります。その人にどんな治療ができて、どんな実績があるかは説明されません。保険下ではセラピストと患者様や利用者様の両者が、お金と時間に関しての平等を保ち、リハビリを提供しています。患者様、利用者様が情報を得られる環境になりリハビリも選ばれて来ています。「もっと良くしたいのに」「こんな治療がしたいのに」、保険下の平等の枠を超えたニーズに応えるべく、自費リハビリが必要な時代になると考えます。施術に用いる主な手技は「川平法」と呼ばれる促通反復法とマッスルアクティベーションテクニックス、略して「MAT」です。専門性と汎用性、どちらも兼ね備えています
会社概要

グランドデザイン
「健全な経営は健全なカラダから」パワフルな経営者をサポートするスポーツカンパニー
経営理念
仕事を通して社会に貢献し、学びを通してよき人、よき仲間を作る
会社名
トモプロジェクト株式会社
本社
岡山市北区辰巳421-1 エトリール大森301 ボディ&バランス内
連絡先
TEL:086-230-6641
Mail:info@tomo-pro.com
役員
代表取締役 福神徳夫取締役 福神知絵
社外役員
顧問 尾島護設立
2006年5月事業内容
①スポーツクラブの運営
②フィットネスクラブ、スポーツクラブの企画、経営及び受託運営ならびにコンサルティング業務
③フィットネスクラブフランチャイズ加盟店の指導育成
④スポーツ用品、健康増進機器、健康食品の販売
⑤その他、上記に付帯する一切の業務
直営施設
パーソナルトレーニングジム ボディ&バランス中島店 パーソナルトレーニング・ファスティング・ヨガスタジオパーソナルトレーニングジム ボディ&バランス辰巳店 パーソナルトレーニング・ファスティング